影の日記

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コミック雑誌なんかいらない! No More Comic Magazines!

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1985年1月26日山口組竹中組長、銃撃を受ける
1986年2月1日コミック雑誌なんかいらない!公開

表題の「コミック雑誌なんかいらない!」は、故内田裕也氏が脚本・主演した映画です。当時80年代を象徴するような事件を内田裕也扮するレポーターが突撃取材する現場をリアルに案内するブラックユーモアな映画です。80年代の世間を垣間見る雰囲気を味わって頂けるのではないでしょうか。当時の今ある題材を内田裕也史観で扱って話題性はありましたが、何か意味があるの位に思っていました。しかし、時代が経つと内田裕也よくやったと感心します。当時を後世に残す偉業だったのですね。時事的芸能情報は、一般の人に広く認識できますので日本社会の一面を映し出すには良い題材かもしれません。

 この映画でも題材にしているゴットファーザーGodfatherな世界が勃発したのが、山一抗争でした。親分の中の親分と言われた田岡一雄無き後の山口組の跡目抗争がまさに仁義なき戦いとなってしまいました。四代目竹中組長がマンションから出て来た所を狙われ、拳銃で撃たれた竹中組長は自力でベンツに乗って(運転は組員)搬送先の組事務所から救急車で病院に運ばれ手術虚しく死亡してしまった事件です。テレビで狙撃されたマンションの玄関前は、血の海となっていました。山口組と言えば田岡親分と言う位に田岡組長の存在は、大きかったと思います。日本の経済発展と共に裏の世界の時代の寵児だったのでしょう。田岡組長時代に山口組が全国規模の組織になったと言われてますので、その後の跡目は難しい選択だったと思われます。竹中正久が山口組四代目組長となった後、反対派が山本広を中心に一和会を結成し山口組から独立して敵対することになって竹中組長暗殺から山口組対一和会の数年に及ぶ抗争事件に発展してしまったのでした。その時の山口組の報復宣言「不言実行、信賞必罰」の中で不言実行が話題になりました。世間でも口ばかりの人は信用ないよね。結果を残すことが重要だよね。と考えさせる宣言でした。

昭和の大スター美空ひばり山口組率いる田岡一雄組長と親密な関係と言うより田岡組長の芸能プロダクション神戸芸能社所属だったことは有名な話です。山口組との関係があるために美空ひばりは晩年NHKの紅白に出られなくなったと言われてます。美空ひばりにしても地方巡業への興行のためには、全国各地それぞれ仕切っている組織に挨拶が必要な時代に山口組からよろしくと言われれば地方の組織も無下に断ることもできないでしょうし、美空ひばりも安心して公演することが出来たのではないでしょうか。戦後の昭和初期の芸能活動は仁義な世界だったのです。今では考えられないよう仕来りがあったのですね。そして1981年の田岡組長の葬儀に出席した美空ひばりはマスコミや世間からバッシングを受けましたが、義理と人情・恩を仇で返すことは出来ないと言う信念を貫き通したと思われます。昭和の終わりに「川の流れのように」が美空ひばりを象徴していますね。

映画トップガン(TopGun)の挿入歌ベルリンBerlin「Take My Breath Away」